第3回市民会議2016年11月19日

「森林認証と先住民族」

上村英明 恵泉女学園大学教授、市民外交センター代表

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上村英明「森林認証と先住民族」/アイヌ政策検討市民会議第3回市民会議(2016年11月19日、北海道大学)プレゼンテーション資料
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森林認証制度というのは初めての方もいらっしゃると思いますので、この制度とアイヌ民族との関わりをまず紹介してみたいと思います。みなさんの中に、日本でこのFSC(森林管理協議会)のマークを見かけた方はいらっしゃるでしょうか。ティッシュですとか、飲み物のパッケージですとかで、最近は流行り始めています。まだ、日本では少数派ですが、ヨーロッパとかオーストラリアですと多数派といっていいかもしれません。例えば、オーストラリアですと、スーパーに並んだ紙製品には、このマークが付いていますし、僕がびっくりしたのは、本など出版物に使う紙にもFSCマークが見られます。どういう意味があるのかと言いますと、「持続可能な森林運営に向け、適正に管理された森林から産出された木材、及びそれを利用した製品に第三者機関が認証マークを付与する」という制度の下でのマークです。そして、適正な森林管理を第三者機関が認証するのが森林認証制度です。本当はもう少し細かいのですが、今日は時間の関係もあり概略をお話します。

 

この制度の面白さは、まずゆるやかな規範ということです。つまり認証という形はあくまでも「こういう基準を守りなさい」という形ですので、法律や行政命令のような「力」がありません。ある種のソフトローに当たるという評価もあります。もう一つは、この制度は市場メカニズムを否定しません。むしろ活用します。つまり、マークが付いていると価値が高くなります。だから売れるようになりますと企業の心理をくすぐります。悪い意味でいえば、現在のグローバル化に乗りながら、制度が広がっています。

 

この森林認証制度に関わる第三者機関いわゆるNGOはFSCだけではありません。主要な国際認定団体ですが、二つあげます。一つは先ほどから紹介している森林管理協議会FSCで、成立は1994年です。国際事務局はドイツのボンにあります。2010年にFSCジャパンが誕生しました。こうした団体は認証を付与するための国際基準を持っています。その「原則と基準」と呼ばれていますが、FSCの場合、その第三原則が先住民族の権利で、現在、先住民族の権利に関する国連宣言(UNDRIP)を明記した基準に基づく認証運用を行っています。

 

もう一つの団体が、PEFC(森林認証プログラム)です。1999年北欧で生まれた国際認証なのですが、国内の認証基準をもつ団体を指定し、PEFCが認めた国内の認証基準をその国内団体が各国事務所として、相互に適用するという考え方を取ります。例えば、PEFCを取ろうとする米国の企業が日本で森林伐採し、製品を作ろうとすると、日本の国内事務所の基準に合わせて行動が規制されます。逆に日本の会社が米国でやろうとすると米国の国内基準に規制されます。

 

三番目は、上記の二つとは異なる国内認証機関で、緑の循環規制会議(SGEC)があります。これは国内の関係者が集まり、国内の基準だけで認証を出す最も緩い機関です。

 

さて、森林認証の昨今の先住民族の権利をめぐる動きですが、2012年に、FSCの「原則と基準」が第五版として改正になりました。改正された第5版の原則三では、先ほど述べましたように、先住民族の権利の保護に、いわゆるUNDRIPを適用することが明確化されています。それまでの版では、ILO(国際労働機関)の先住民条約(第169号条約)が基準として入っていましたが、批准を必要とする文書なので、各国国内で批准してないよ、と言うとそれで終わりだったという感があります。しかし、国連総会で採択されたこの宣言が入ったことで、基準はより広範で明確になり、先住民族の権利が強化されたことになります。それから2013年、FSCジャパンが、北海道の森林にはアイヌ民族の権利がある、ということを認定しました。日本政府は、アイヌ民族を先住民族と認めているのですから、当たり前のことです。つまり、北海道の森林を伐採する、少なくともその森林経営や製品にFSCの認証マークをもらおうとすれば、アイヌ民族と何らかの話し合いが不可欠の条件になりました。これは、ある民間会社がもっている社有林であってもです。アイヌ民族との話し合いをしないと、先住民族の権利を侵害した違法伐採とみなされ、認証マークは使用できません。うちの会社の土地の木をなんで切って悪いんだ、といっても、FSC認証をもらえないということになります。2014年に、北海道アイヌ協会と製紙会社(日本製紙と王子製紙)との協議が始まりました。昨年2015年には、FSCジャパンは、国際基準の直接適用だけではなく、「認証材」という一番厳しい基準の認証にも、先住民族の権利を認めるよう、国内基準の改正作業にも取り組み始めました。今年になって、FSCの理事会の下にある、先住民族諮問委員会の委員に、アジアの代表として貝沢耕一さんが就任されたと聞いています。

 

もう一つは、PEFCとSGECの動向です。認証基準がより甘い、ぶっちゃけていえば企業寄りだという話をしました。しかし、それでも、2010年にPEFCは、各国事務所を認可する国際基準の中に、UNDRIPの尊重を明記しました。ただし、PEFCはFSCと違って、「先住民族の権利」という文言は明記していません。明記はしてはいないのですが、UNDRIPに準拠するよう、各国事務所に指示しています。そして、最近の事情が面白いのは、SGECの動きです。SGECは、国内法令がないので、アイヌ民族の権利を森林経営に一切認めないという姿勢、方針をとってきました。ご存知のようにアイヌ民族の権利というのは、国内法で一切規定されていません。そのSGECがPEFCに2014年に加盟したのです。理由は、各国の製紙会社などがSGECの認証をもっていても国際的に通用しない認証なので、商売の役に立たないわけです。グローバル化する商売の役に立たせるためには、SGECの認証も国際的な価値があるといいたいわけです。そのために、SGECはPEFCジャパンになるという決断をしました。そして、2015年にはPEFCの中の第三者委員会の理事が北海道アイヌ協会にコンタクトをとっています。さらに、SGECはPEFCに加盟したんですけど、加盟してきちんとPEFCジャパンになるためには、SGECの国内基準を改正しないといけません。この作業が、2016年から、今現在も進行中ということです。このSGECの国内基準の改正作業は、僕の知る限りでもすったもんだしているようです。SGECの中核となる理事会は企業関係者が少なくありません。専門家も入っていますが、林学の専門家が多いのです。つまり、理科系の専門家と企業関係者が中心で運営されているので、なかなか先住民族の権利という発想にたどり着けません。ただSGECがPEFCにきちんと入りたいというのは大きな方針なので、加盟するためには、予断は許しませんが、先住民族の権利を一定認めることが不可欠になります。

 

北海道アイヌ協会の関係でいくと、SGECの国内基準改正の促進は、今年2017年になって政府のアイヌ政策推進会議でも発言されています。特に、どうしてSGECが言及されるかというと、北海道内の国有林とか道有林はSGECの認証を持っている場合が少なくありません。つまり、国有林は林野庁の管轄ですから、SGECの国内基準改正はその意味では政府の管轄にも関わってくるということです。

 

みなさんに、ここでご報告したいのでは、森林認証制度のもう一つ別の側面です。もう一つの側面は、実はFSCやPEFCは認証運用団体あるいは認証運用機関と呼ばれています。つまり森林認証制度の中では、認証基準を作ること自体が目的の組織です。具体的にいえば、基準を使いながら、現場を歩いて、本当にこれは基準にしたがった適正な森林なのかどうかを判定する別の組織があります。これを認証団体とか認証機関と呼ばれています。具体的な組織名を挙げると、SGS、アミタ、Control Union Japanという組織があります。実はアミタの社員の小川さんという方が紋別に来られ、畠山敏さんに話を聞かれたと聞いて、ああそうかと思ったのです。ともかく、具体的な現場にやってきて、企業とか林業家と先住民族団体を交えて話し合いながら、認証を付与するかどうかを決定するのはこの認証団体の認証審査官です。その意味で考えれば、制度の枠組みとしての基準設定をする認証運用団体は重要ですが、同時に具体的にはアイヌ民族の権利に役に立つかという点では、認証審査官の質・クオリティが重要だとおもいます。この認証団体は5年ごとに認証を付与された法人の審査を行います。つまり、一度認証を得るとそれでよしではなく、継続審査されるのです。5年ごとの本審査に対しては、1年ごとに予備審査もあります、軽いものです。そして、このプロセスで問題があった場合には、認証機関と認証運用機関の国際事務局でこれを処理する、というのが制度の枠組みのようです。

 

その点、認証機関の審査官を先住民族の権利という運動に巻き込むかは重要な問題です。しかし、現実には認証審査官も林業の専門家がほとんどです。小川さんもどうやら林学で博士号を取った方だと聞きました。認証機関でいえば、SGSという機関はフランスに拠点がある機関です。一般的には、格付け機関として有名だそうです。ある企業の経営がダブルAなのかCなのかという審査をする組織です。それに比べて、アミタはリサイクル事業を行っている企業で、本社は京都にあります。実は、その社長はよく知っているので、一度京都を訪問し、東京で話をしました。僕の森林認証に関する問題意識をお話ししたところ、「その通り、実は我が社の審査官をやっている小川君はいいやつなんだが、理科系の出身で林学のことは詳しいが先住民族のことは全然わかってないだろうね」、と話をされていました。私が現在進めていることは、こういう認証審査官に先住民の権利とか人権を教育するプログラムができないかということです。そこが今日第一ポイントのお話です。

 

第二ポイントは、先ほど落合さんの困ったお話があり、常本さんの困った文章もあります。実際に北大のアイヌ先住民研究センターという、アイヌ民族の権利を守らなくちゃいけない機関にいる人の適性は厳しく問われなければならないと思います。同時に、もう一歩進めて、この問題がどこからきたのかということを根本的に考えてみる必要も感じています。それは、アイヌ民族を巡る公的な歴史認識、歴史見解がないというのが北海道あるいは日本の現状ではないかと思うからです。先ほどの文章の中で丸山先生が、植民地主義あるいは植民地北海道に言及されましたが、少なくとも日本政府は北海道が植民地だと思っていないのです。ずっと、日本の国内の一部です。国内の一部をどう扱おうと政府の自由ですし、国民の一部であるアイヌ民族も政府が代弁していると言っています。残念ながら日本の研究者あるいは市民も、北海道が一体どういう近代史の中で現代に至ったのか、ということにはっきり鈍感です。こうした歴史認識がなぜ必要かというと、アイヌ民族政策をなぜとらなければならないのか、という理由付けの問題につながるからです。この理由がないと、かつてのような福祉政策の感覚です。福祉というのはあまり包括的な理由が必要ありません。貧しい人がいる、住宅に困った人がいる、教育を受けられない子供がいる、医者にかかれない病人がいる。だから何か手当てを出しましょう、施設を作りましょうという分野です。そういう意味で考えると、1984年アイヌ新法案というのは、ここに起草者のひとりの小川隆吉さんいらっしゃるので私も話し甲斐があるのですけれども、この理由付けがしっかりしているのです。この点、1997年のアイヌ文化振興法など、日本政府側が作った文書ではこの部分がすっぽり抜け落ちています。これが、落合君や常本さんの問題のある認識が幅を利かせている大きな構造上の問題だと思います。

 

小川さんがいらっしゃるので改めていう必要もありませんが、アイヌ新法案の中に「本法を制定する理由」があります。僕は大学では国際法の専門家と言っていますが、ここにいる多くのみなさんから学者・研究者とは思われていないのですが、法律の重要部分は、その「前文」なのです。よい法律の「前文」にはなぜその法律が必要かの理由が明確に書かれています。それは、各条文に解釈が必要になった時に役に立つのです。ダメな法律ほど、私から見れば、「前文」がしっかりしていません。例えば、日本国憲法は「前文」がしっかりしています。戦後の平和主義は第9条に象徴されますが、「前文」にも平和条項が含まれています。あれだけ悲惨な戦争をしたのだから、我々は新しい平和な国家を作らなければならない、という決意が書かれています。そして、このアイヌ新法案はそこがすごくよくできています。一部だけ紹介します。

 

「……明治維新によって近代的統一国家への第一歩を踏み出した日本政府は、先住民であるアイヌとの間になんの交渉もなくアイヌモシリ全土を持主なき土地として一方的に領土に組み入れ、また、帝政ロシアとの間に千島・樺太交換条約を締結して樺太および北千島のアイヌの安住の地を強制的に棄てさせたのである。土地も森も海もうばわれ、鹿をとれば密猟、鮭をとれば密漁、薪をとれば盗伐とされ、一方、和人移民が洪水のように流れこみ、すさまじい乱開発が始まり、アイヌ民族はまさに生存そのものを脅かされるにいたった。……」

 

これが落合問題の反対にある考え方です。これは当たり前の認識だと思いますが、たぶん新法案で終わってしまったといってもいいように思います。先ほど言及しましたアイヌ文化振興法には「前文」がありません。代わりに、第1条に目的が書き込まれています。次のようなものです。

 

「この法律は、アイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化が置かれている状況にかんがみ、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する国民に対する知識の普及及び啓発を図るための施策を推進することにより、アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り……」

 

この法律が必要な理由がないですよね。「アイヌの伝統及びアイヌ文化が置かれている状況」って何でしょうか。それはなぜもたらせられたのでしょうか。つまり、政府は今の状況をこう考えているからこの法律が必要ですという構造になっていません。この「かんがみ」なんていうのは本当にいいかげんな表現だと思います。

 

次にアイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会がまとめた2009年の文章も紹介しましょう。実は、このあたりが落合君や常本さんが使っているある種のフレームワークと見事に一致します。「明治に入ってからは、和人が大規模に北海道へと移住し開拓が進展する」、侵略とは言っていません。「その陰で先住していたアイヌの人々は、文化に深刻な打撃を受ける。」どうした「陰」なのか、むしろ真正面から脅かされたわけです。そして、大規模な開拓の結果、「文化」が深刻な打撃を受けたと述べて、だからこそ文化政策が必要だとつなげます。しかし、ちょっと真面目に読んだらわかります。大規模な新しい開拓政策が展開され、移民が入ったら、文化だけではありません。経済だって社会だって、価値観、福祉みんな破壊されたわけです。ところが、その結果は文化だけ何とかしなければならないと言っています。また、「明治32年(1899年)北海道旧土人保護法が施行されたが、アイヌの人々の窮状を十分改善するには至らなかった」、と言っています。落合君も常本さんも、ある意味、僕と違って、すごく真面目で素直な連中です。これ以上踏み込めないのか、と言いたくなるほど、有識者懇談会の報告書のラインに忠実なのです。

 

さらに、2016年11月7日にみなさんご存知の井上勝生先生が紹介された道新の記事を紹介します。この中で先生は、僕と少し違う意味ですが、共通することを述べられています。一部ですが、ご自分の研究成果を元に、2009年に政府の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」がまとめた報告書を見直さないといけない、という主張です。簡単にいえば、基本になる文書がガタガタであれば、それによって位置づけられる政策はボロボロだということです。

 

もうひとつも、2016年6月14日に道新に掲載された僕の論考です。2020年にまた新しい法律を作る方向性があることに対し、心配している、基礎となる歴史認識あるいは政府の植民地責任認識の議論を欠いたまま新しい法を作るべきではないと書きました。こうした基盤をきちんと確認していないからこそ、アイヌ民族は特権を持っている、税金を不当に使っているというような議論が出てくるのだと思います。常本さんは、こういう歴史認識に関する議論は後回しにすべきだという議論を展開しますが、僕からみれば、それこそ本末転倒です。これがないためにアイヌ民族政策は不満に囲まれて全体がボロボロになっていくのだと考えています。

 

 

次のスライドのタイトルは、「歴史認識の本質:『植民地』としての認定」としました。亡くなった越田清和さんとは、2012年に北大で平和学会の研究集会をやりましたが、彼と僕との共通することは、北海道がどんな土地なのかという認識を欠いたままで北海道の問題を語る認識をやめようということでした。2012年には、『アイヌモシリと平和-<北海道>を平和学する!』という本が彼の編著で出版されました。越田君は翌2013年に亡くなってしまいましたが、この共有する思いは引き継がなければならないと思っています。その意味で、2016年秋には、先ほどの日本平和学会の紀要で『脱植民地化のための平和学』特集号を編集しました。この中で、国内植民地であるとか、北海道は国内であるという議論の問題を明らかにしたつもりです。平和学の研究者と自称する人たちでさえこうした問題提起に鈍感でした。僕の恩師でもあります西川潤さんに書いていただいた「植民政策から平和学へ」という論文は、札幌農学校から戦前の植民地経営学、そしてその展開としての戦後の平和学や国際開発学になったという流れを明らかにしていただきました。小田博志さんには、ドイツの事例という形で、反ナチズムに関してしっかりした教育システムをもつドイツが、アフリカ等で展開した植民地政策とその責任についての議論では抜け落ちていることを書いていただきました。日本でも広島とか長崎の被爆体験の教育はかなりしっかりなされ、平和について語れる社会のように見えます。しかし、植民地問題になると、その関心はすっかり静かになってしまいます。ここで、これを紹介した理由はもうひとつあります。2017年7月1日、2日には日本平和学会の春季大会が北大で開催されます。そこでは、北海道は植民地だったという議論が大会全体のテーマになると聞いています。研究者だけでなく、アイヌ民族のみなさんにも参加していただき、議論や認識が盛り上がればいいなと思っています。こういう土台を、やや遠回りであれ、きちんと整備した上で、政策や社会課題を議論していかないと、僕らは何かモグラ叩きに追い回されている感じがします。もちろん、落合君も常本さんも研究者としての倫理、アイヌ民族問題に関わる立ち位置から厳しく問われなければならないと思います。その一方で、別の戦略的課題に向かうことも必要かと話をさせていただきました。僕の時間はこれで終わりたいと思います。どうもありがとうございました。