日本政府のアイヌ新法案撤回を求める声明書

2019年2月22日

樺太アイヌ【エンチウ】協会 会長 田澤 守

 

私達は、何世紀も前からアイヌモシリ――樺太(サハリン)島南部に居住し、アイヌモシリで長い間生かされ育まれてきたエンチウ〈樺太アイヌ〉です。ニブフやウィルタなどの、近隣諸民族、日本人や中国人、ロシア人との交易も盛んに行ってきたエンチウです。日本とロシアが自国の領土拡張の為にこの地を奪い合うまで、私達は島に暮らす他の諸民族と住み分け共存。共生しながら日々の暮らしを営んできました。

 

しかし両政府は領有権を争い、エンチウを一方的に自国に編入していきました。そして、日本政府は1875年にロシアと結んだ樺太・千島交換条約をうけて、841名の樺太アイヌを対岸の北海道宗谷地方に強制移住させ、翌年1876年には854名となった樺太アイヌを石狩川下流域の対雁(ツイシカリ)へと再び強制移住させた。その結果、急激な生活環境の変化、体力や免疫力の低下の中でコレラや天然痘など、元々樺太アイヌにはない伝染病により300名以上が数年のうちに犠牲となり命を落としました。     

 

その後1905年日露戦争の講和条約であるポーツマス講和条約により南樺太は再び日本の植民地となり、対雁の多くの樺太アイヌは帰島しました。ここでも日本政府は自国領となった南樺太において植民地支配を進めるため、樺太アイヌを10カ所のコタン(集住村)に強制移住させました。それまで「樺太土人」として一括されていた樺太アイヌに日本国籍を与え、日本国民に編入されたのは1932年の事です。

 

第二次世界大戦最末期の1945年8月~9月に樺太は千島と同じに日ソ間の戦場と化し、樺太アイヌの多くはソ連軍の攻撃とソ連支配から逃れるため、北海道に避難しました。避難した人達の多くが、住むところを求めて道内を渡り歩き、その移住先の一つに、現在の北海道豊富町の稚咲内(ワッカサクナイ:アイヌ語で飲み水の無い川の意味)があります。稚咲内の処女地に入植した人々は、過酷な条件の下、新たな村造りの労苦を強いられました。

 

しかし、日本政府は、エンチウも含めアイヌに関わる歴史やその実態を、学校教育の場で敢えて教えませんでした。とくに日露両国間の領土争いと植民地政策に翻弄されてきたエンチウは、今なお異郷の地、北海道においてその本来の主権【先住権、自己決定権等】を侵害され続けています。

 

私たちは、日本政府が2019年2月15日付で上程されたアイヌ新法案が国会で審議されることを知り、さらに公開された全文を知りました、その内容に驚きを禁じ得ません。私たちは新法案で言及される「アイヌ」を「国家や社会がこの名称のもとで一括掌握してきた幾つかの集団の総称」と捉え、これにはエンチウも含まれると認識しています。当事者であるアイヌの多くがその内容を知らされておらず、議論も十分になされていない中で成立されようとしている今回のアイヌ新法案には、エンチウを含む多様なアイヌの意見が反映されておらず、多くのアイヌにとって納得のいく法律には成っていないことが極めて残念です。よって、私達は今回の新法の成立を見合わせることを求めるとともに、以下の要求を踏まえた「アイヌの意向に沿う、アイヌのための、アイヌによる法律」の制定を求めます。

 

 

  • 私達、樺太アイヌ(エンチウ)はアイヌ新法案の作成過程から排除されてきました。新法案の中身にも樺太アイヌを対象としたものがありません。よって、北海道各地でコタンを形成してきたアイヌの代表だけでなく、樺太アイヌ、千島アイヌ、日本中にあるアイヌの組織、ニブフ、ウィルタと言った少数民族達も熟議の場と時間を保障し、その議論の成果を法律に反映させることを求めます。
  • 新法においては、北海道アイヌのみならず樺太アイヌ、千島アイヌにも先住民族としての権利を認め、各々のアイヌ集団が現在の北海道、樺太、千島の植民地化以前に享受していた主権(先住権、自己決定権等)の回復を保障し明記することを求めます。
  • アイヌの主権回復を本旨とする政策を実現する為には、北海道、樺太、千島の植民地化の歴史を正しく認識し、その上で真摯に謝罪し、その反省にもとづく「先住民政策」を策定しなければなりません。したがって、日本政府は各地のアイヌ(エンチウ)や研究者、ロシア政府などとともに、強制移住や旧土人保護法など、アイヌ(エンチウ)が被ってきた植民地化の負の歴史について十分な調査、検証を行う責任があります。
  • 上記の成果を恒久的に達成、維持する為にアイヌは自ら自己決定する(協議機関)を立ち上げ、自立することが必要不可欠です。日本政府はアイヌ(エンチウ)の政治的、経済的、社会的、文化的自立を支えるため、アイヌ(エンチウ)の主権を憲法などで保障しなければなりません。