第5回アイヌ政策検討市民会議 2017年6月18日

樺太アイヌからみたアイヌ政策の根本問題

田澤守さん 樺太アイヌ協会

 早くなるか遅くなるか、私がしゃべることとみなさんが聞いてくださることと一致して初めて時間がその通りになると思いますのでそのことはご了承ください。

 

 昨日、樺太アイヌの慰霊祭がありました。千島・樺太交換条約によって1875年、841人の樺太アイヌが宗谷に強制移住させられました。その翌年の6月、854人が江別の対雁というところにさらに強制移住されました。そこでわずか数年の間に三百数十名がコレラとか天然痘によって犠牲になりました。その慰霊祭を昨日6月の第三土曜日に午後2時から毎年やっているのですが、今年は39回目、昨日行ないました。私は実行委員長をさせていただいておりまして、今まで天気が悪くてずっと寒かったのですが、昨日は晴れて、私の不出来もあって冷や汗をかきながらも、幸せな時間を過ごすことができました。

 

 ここでみなさんに本当に最初にお礼を申し上げなければならないのは、私がここで話をさせてもらえること、本当に感謝申し上げます。なぜなら、アイヌ政策の中で樺太アイヌはほとんど出てきません。エンチウと言ってもほとんどでてこないんです。政策の中で樺太アイヌに事情聴取を受けたこともないし、「自己決定権」「自決権」と広瀬さんが盛んに言ってくださったのですが、それさえ馬の耳に念仏と同じように聞いています。

 

 でも私がずっと言い続けているのは自己決定権、自分たちの未来は自分たちで決めることができるんだ。46の権利宣言が国連で認められている。にもかかわらず、日本政府はそれを承認したとかいいながら官房長官談話で終わって法律にも何もできていない。それが現実です。

 

 私は法律をあまり信用していないのですが、今の政権みたいにぐるぐる自分たちの都合の良いように法律を作るならば法律はいらない。法律ではなくて、憲法に「日本に先住民族アイヌがいる」と、アイヌばかりじゃないかもわからないけれども、なぜ書かないのかな。

 

 私は憲法学者、特に北大のアイヌ先住民研究センターの、この市民会議が問題として取り上げた落合さんの講演を聞いたとき──まだ問題発言のある前、札幌アイヌ協会で講演者に呼んで講演をしてもらったときに──「国とはなんだ」と言ったら、「人民じゃないんだ、憲法が国だ」と言われた。「だから憲法が優先されるんだよと言われました。「人じゃないんですね」「そうです、国際的には憲法が国なんです」と言われました。

 

 だったらそこにアイヌが入っていないのはおかしいですね。なぜ日本の先住民族アイヌがそこに入っていないのですか。やっぱりアイヌは日本という国の中で存在しないということと同じになっているわけですね。

 

 それは樺太アイヌにとってみれば、はっきりわかる。私が戸籍を取っても、樺太アイヌ民族だと証明できるものは何も出てきません。「外務省に問い合わせてください」と言われました。樺太アイヌと証明できるのは、わずか6人しかいません。北海道アイヌ協会は(会員資格として)「戸籍をもってアイヌ民族だと証明する」と言い張っています。そうでない人は、文化を継承している隣近所の人から「あそこはアイヌだよ」という、そういう証明がなければ行政的には一切アイヌだと証明されません。

 

 今、アイヌ対策が実施され、多くの子どもたちは、高校や大学へ行くとき、アイヌの就学資金を借りている。でも樺太アイヌは正直、借りられません。私は協会を辞めたので、(自分がアイヌだと)証明することができないんですね。道アイヌ協会に問い合わせてもできません。北海道庁に言っても、戸籍がなければ樺太アイヌとしては認められません。ですから「申請は受付られません」と突き放されました。それは今も変わっていません。

 

 「自己決定権」ってすごくかっこいいですよね。私は自分で決めている。みなさんに配布したレジュメ3枚の中で私の思いを書いておきました。今日はその中身はしませんが、読んでみて、後で聞きたいことがあれば、対話のときに述べてください。

 

 自分たちで自分たちのルーツを調べましょう。私は、調べて、樺太アイヌの過去帳を作っています。それによって(あなたは)樺太アイヌだよということを──私が樺太アイヌ協会というのを作っているのですが──樺太アイヌ協会が証明します。聞き取り調査ってすごく大事なんです。まだ志半ばまでいきません。

 

 ここでいろんな問題が起きてきて。自己決定権(と言うけれど)、樺太アイヌが(主体になって)決めるのがすごく難しい。日本の中でもアイヌの中でも、樺太アイヌの存在はないに等しいです。無視し続けています。(これまでさまざまな)政策懇話会の中で、「先住民アイヌだよ」と言いながら、千島(アイヌ)も樺太(アイヌ)もその中には入っていません。政策に関すること全て、「あなたたちはどうしたいのか?」と聞かれたことはありません。

 

 骨(の返還)に関すること、市民会議で盛んにやってますけど、私は第1回目(2016年4月会議)に来たときに反対したと思います。「簡単に返しちゃだめだ」と。国や北大も謝罪もなしに「(訴訟和解で実質的にアイヌ原告が)勝った」と(評価するのは)、これは違います。あれだけのことを、2回目、3回目、10回目、100回目となったときに、みなさん同じだけの応援ができますか。国は喜んで返しますよ。でも私たち樺太アイヌは返されても困ります。どこに持っていきます? (遺骨発掘地の現在の統治国は)ロシアですから。

 

 オーストラリア、ドイツから今遺骨が返ってきます。道アイヌ協会は喜んで「土に返すために引き取ります」って。困りますよ、誰が(樺太アイヌではない)北海道の人に頼んだんですか? 冗談じゃないですよ、どうして骨を持ち去られなければならないんですか。自己決定権、どうするかを決めるのは私たちなんです。だからここの市民会議があると思っています。

 

 樺太アイヌばかりじゃなくて、アイヌがどういうことを望んで、どうしたいかを決めて、それを政府がバックアップするならわかるんです。今は政府が「アイヌ(政策)はこうだよ」(と決めている)。アイヌ振興法を作って、そこがアイヌを線引きして、アイヌを作っています。

 

 正月、私は夢を見ました。同化政策。旧土人保護法ができたとき、同化政策、アイヌはもう同化して日本人になりなさいよという政策だったと思います。でも同化されないから百数十年たって今ここにいるんですよね。

 

 でもみなさん、考えてみてください。アイヌ文化振興法ができて20年経つんですね。日本で見事に同化政策が成立していると思いません? アイヌがアイヌである自尊心が何もなくなっているのが一番すごいことだと思っているんです。お金をふりまくところにはアイヌは来る。でもこれだと、お金をもらえないところとか(にはアイヌは集まれない)。

 

 昨日の供養祭も、私は一切、行政とかどっかから補助金をもらっていません。自前でやっています。対雁の供養祭は。昨日は60~70人くらい、全国から口コミで「いつあるんだ」と(開催情報が広まって)集まったかと思います。半分くらいしか案内文出せてないんですけれども、それだけの方が慰霊祭に参加してくれました。私が(実行団体に)入ったころの慰霊祭は、あの1/10、7~8人で、11月に雪降って寒い中、凍えながらやってました。(開催時期を)6月にしたのは偶然ですが、宗谷から対雁に強制移住させられたのが6月だったそうです。それも船によって。陸路じゃありません、船で。

 

 宗谷に移住させられたのも──研究者、日本人の多くは「強制じゃないよ」と言います。「(自主的な)移住ですよ」と言います。「本人たちの同意を得てそこに行ったんですよ」と言います。でも日本語も話せない、書けない、そういう人たちが署名捺印して日本語の名前を付けられてわずか3カ月の間に800人以上が移住してくるって、どういうこと? ありえます? 本当に研究者がそういうことを言えば言うほどおかしなことになると思うのですが。私の考えすぎかなと思ってしまいますが。

 

 それも含めて、樺太アイヌに対しては、3度か4度の強制移住があります。宗谷、対雁、樺太でも10カ所ほどの居住地に集められます。集められて、自国民でもない「土人」を強制的に集めて支配します。「旧土人」じゃないんですね、対雁に来たアイヌは旧土人。でも樺太に残った多くの樺太アイヌは「土人」なんです。日本の管轄外なんですけれども。

 

 アイヌにとって、北方領土なんて名前ないですから、千島といったほうがはっきりわかりますよね。千島とか、あるいはウルップ島とかアイヌ名がついた島々があって、アイヌが先住していた土地であって、日本人が先住していた土地でもないし、日本人が占領していたことでもないんです。まして北方領土と言わなければならない領土なんです、あえて言えば。そういうとこで、樺太も含めていっぱいあちこちアイヌを集めてアイヌ連中を日本人扱いして、だからここは北方領土なんだよ、日本の領土なんだよということをやっていたのが過去の歴史です。それを何も清算しないままやっているのが現実なのだと思います。

 

 昭和8年までは、多くの残留樺太アイヌには、日本名はついてても戸籍はありませんでした。昭和8年から多くの樺太アイヌに日本の戸籍を付けられて「日本人」となります。そして「樺太アイヌ」はいなくなります。日本国民ですから日本人です。

 

 でも戦争が1945年に終結して、多くの日本人が(樺太=サハリンから「内地」に)引き揚げてきます。その中に樺太アイヌも「引き揚げ」……てはきません、「移住」してきます。皆さんの中でも研究者の中でも「引き揚げ」です。(会場には)教科書問題の若月さんもいますが、あれを見てると、「樺太アイヌのことはああ、無視なんだな」と思います。樺太アイヌにとっては、教科書の中では、いくら(歴史認識を正して欲しいと)言っても変わらないんだな、ということがわかります。

 

 私が一番言いたいのは、先ほど広瀬さんもちょっと近いニュアンスのことを言っていたと思うのですが、歴史は180度変えないといけない、ということです。実際に「アイヌの学校」って言われて、喜んでてはいけないんです。「アイヌの学校」じゃなくて、「アイヌを日本人化する学校」なんです。「アイヌの学校」って当たり前に聞いているけど、アイヌを日本人化するための学校じゃないですか、アイヌの文化を教える学校ではないですよ。

 

 江別の対雁小学校は、樺太アイヌの縁でできた学校なんですが、そこで「アイヌの学校」ができるんですね。そこで勉強した山辺安之助さんは(後年)、樺太に行ってアイヌの学校を作るんです。『あいぬ物語』なんて本も出します。絶賛されてます。しかし樺太アイヌにとっては、日本人化されたアイヌに、さらに日本人化されるシステムを作られてしまうんです。考えてほしいのはそこなんですよ。

 

 みなさんは、根本的に権利があるんだよと言っても、誰も主張しないじゃないですか。権利があるなら義務もあるんだろうって。それだったら常本(照樹・北海道大学アイヌ・先住民センター教授)さんではないけど、「(先住権は)あっても(アイヌには行使)できないんだよ」って。要は多数者の権利が優先で、「あなたたち(アイヌ)には、少数者の権利は多数者の理解がなければ(行使)できないんだよ」って。これっておかしくないですか。少数者の権利も守れないような多数者ってのはあっちゃいけないんじゃないですか。私はだから歴史を180度変えないと、アイヌ政策検討市民会議の意味はないと思ってます。

 

 ここの市民会議が180度変えるような提言を出せるんだったら、私もこれからも一緒にやっていきたいけど、でもただ「国がやっている政策のここが違うんじゃない?」「あそこが違うんじゃない?」っていうだけだと、私はだめだと思っています。アイヌが望む、アイヌは本来あるべき姿を提案し実行するのがこの会議の目的だと思っているんですね。それ以外ありえないと思っているんですね。

 

 だって国がやっているやつ(アイヌ政策)に、棚卸しみたいに降りてくるものに、「ここをこうしてください」「ああしてください」というのはおかしいじゃないですか。そういうお願い事なんてしなくていいんです。お願いするんじゃなくて、こういうふうに権利があるんですからこうやってくださいよって。それを国が、アイヌの権利を応援しますよ、っていうのが国の責任じゃないですか?

 

 よくある「国有地を返せ」なんて、とんでもないですよ。北海道も千島・樺太も、全部返してくださいよ。一般市民が所有してるのは、国の責任で解決することなんですよ。国の問題も、一般市民の問題も残さないといけないんです。区分けしないといけないんです。

 

 アイヌも、アイヌの問題をとっとと解決しないといけないんです。アイヌ自身、今まで何十年かかってもしないからこうなるんです。自分も含めて言っています。いつまでそれを続けるのか、アイヌ自身もとっとと答えを出さないといけないんです。歴史を変えるアイヌ政策検討市民会議であってほしいなと、自分がその一人になれたら本当に幸せだなと思っています。

 

 そのためにできることはなんでもするって決めるのが、自己決定権だと思ってます。ここで発言するのも自己決定権だと思っています。「東京オリンピックまでに象徴空間を作りますよ」「それで貴方たちを満足させますよ」と言ってますが、(日本政府が過去)数百年、アイヌにやってきたことに、たかだか象徴的空間で観光アイヌを作る目的で、2020年に間に合わす、こんなことに賛同している人がいるとしたら……。なぜ観光アイヌを作ることに賛同しなければならないのかわからない。なぜ2020年までにそれを作らなければならないのか意味がわからない。

 

 一つ一つ問題を解決していくことが、時間がかかっても、十年かかろうが、二十年かかろうが、アイヌ自身が出した答えを政府が応援するのがあるべき姿だと思います。アイヌが本当に、それこそ何十日、何十年かかってもいいから、アイヌ同士が自分たちの未来をもう一度リセットし直していかなければアイヌの権利は獲得できないと思う。

 

 「権利はある」と言われているのに、権利を放棄しているのはアイヌです。間違いなく。先生方、丸山先生も吉田先生も、「あなたたちも権利があるんだからなんとかしなさいよ」と再三言っているのに、権利を主張しないのはアイヌなんです。市民会議がその権利を当たり前に主張できる、この権利を明確に主張できる市民会議であってくれたらなと思います。

 

 私は樺太アイヌ。「なんも、北海道アイヌも同じだろ?」と何度も何度も何度も言われました。「少数者の中の少数者がいるんだよ」と言っても無視され続けました。無視され続けて、ああ、もう自分たちにはいくら言っても変わらないんだなと思いました。それはアイヌ自身もやってるんですよ。国民に対して「アイヌを認めてくれよ」「アイヌの主権を認めろよ」と言っているんだけど、少数者の中の少数者を認めることをしないのがアイヌなんです。だから一緒に、自分たちの問題も、自分たちでない人の問題も一緒に行動する、そういうことが大事だと思ってるんですね。

 

 昨日感動したのは、アイヌばかりじゃなく、北海道アイヌの人も、樺太アイヌの人も、日本人も、中国の人も、みんな集って真剣にアイヌの未来を語ってくれました。初めての人も、現状を見て非常に真剣に語ってくれました。本当にそうあるべきだなと思っています。それが市民会議でできたらいいなって。

 

 明確なビジョンと目的設定って、一般社会でよく言われますが、明確なビジョンは、アイヌ自身が未来を自己決定するってことだと思います。それをみなさんと一緒にできて、和人の人はサポートしながら、早く、どういうふうな未来を思い描くのか、アイヌに「決めなさいよ」と、一緒にやってくれたらいいなと思ってます。

 

 それが自分たちの生きる道だと思っています。私がルーツを探して家系図を作ってアイヌを証明する。1日でも早く作り上げていく。各世界にいっている骨も、早く樺太アイヌ自身の手で受け入れて早く土に返してあげたいなと思っています。そういう意味でも、今年中に樺太アイヌの遺族会を作ります。そこが窓口になります。それで前に進みます。

 

 少し道を逸れるかもしれませんが……。これは、強制移住させられた対雁の樺太アイヌの写真ですが、ここに自前の墓もあったり、色々なことがたくさん写っています。こういうこともみなさんが知らないこと。江別の真願寺さんに行くと、もっと大きな写真で、樺太アイヌとの関わりも含めて(資料が)あります。それが樺太アイヌにとってどういう意味があるのか、多くの仲間と語り合いたいなと思っています。

 

 この写真、何かわかります? 南極探検隊なんです。探検隊の秋田から白瀬矗さんの関係というか、探検隊の本を出した佐藤忠悦が(昨日の慰霊祭に)来てくれたんですけれど。(当時)犬ゾリ用に成犬30頭を連れて行ったそうです。(南極に向かう途中)オーストラリアで成犬が亡くなって、新たに30頭を追加して、南極探検隊したんだそうです。それはすごく賞賛されました。ここに2人、写ってるのは、山辺安之助さんと花守新吉さん。この人は樺太アイヌです。この二人が犬の訓練係です。二人が着ている毛皮、なんだと思います? 樺太犬の子犬の毛皮です。裏表あるので、一人20頭分くらいです。かける(隊員の)人数分です。それで、多くの樺太アイヌは飢えと貧困に苦しむんです。樺太アイヌにとって犬は労働犬でもあり食料でもあるんです。

 

 歴史上なにもでてきません。わかりますか、歴史を変えたいというのはそのためなんです。綺麗事じゃないんですよ。綺麗事じゃない歴史を、きっと取り戻さないといけないんですよ。

 

 いろんな学者さんが、いろんなことを調べてくれます。「郷土を掘る会」っていう会に呼ばれて行って、もらった資料の中に、(亡くなったアイヌの名前を記した)過去張が出てきました。私は「すぐ取り下げてください」と抗議をして、取り下げてもらいました。私たちの手にも入らないものが、民衆史の、いくら研究者といえども、一般社会にばらまくのは許せないんです。歴史を正しく知ることと、歴史をありのままに伝えることと(同時に)、嫌がる人がいるということを理解してほしい。過去帳とか、亡くなった樺太アイヌの名前を三百数十名、全部入れてしまったり。

 

 アイヌであることを(知られまいと)避けている仲間もいるんです。それも認めないとならないんです。だからいろんな仲間と協議しながら、出していいものなのかどうかも含めて、前に進んでいってほしいな。

 

 30分て短いな。終わります。

 

 あと、これも言いたかった。自己決定権について覚書を交わしています。(相手は)サハリン州知事バレンティン。当時計画がありまして、今よりも道アイヌ協会の理事たちは活動していたと思いますが、聞き取りして、「覚書を交わしていいか」と国際電話で私に電話がきて、「ぜひやってください」と答えて、結ばれたものなんです。これが自己決定権につながっていくと思います。自分たちの島に帰るのだということで。

 

 終わります。