選挙に紛れ込んだヘイトスピーチを非難します

2022年7月17日

 

アイヌ政策検討市民会議(代表 ジェフ・ゲーマン)

 

 

2022年7月10日投開票の第26回参議院議員通常選挙において、一部の政党・候補者が、先住民族アイヌに対するヘイトスピーチの疑いが濃厚な主張を公然と繰り返し、アイヌのアイデンティティを持つ大勢の人々が尊厳を傷つけられました。公職選挙は民主主義の根幹であり、候補者には、自由かつ平等な発言機会が保障されなければなりません。しかし、一部政党・候補者は、その原則をいわば逆手にとって、先住民族アイヌの存在を否定する言葉を選挙公報・街頭演説などによって拡散しました。アイヌ/非アイヌの会員で構成されるわたしたちアイヌ政策検討市民会議は、アイヌの人権を何よりも大切にしたいと考えており、このたびの参議院選挙に乗じた一部政党・候補者のヘイト的な発言を強く非難します。

 

かつて世界大戦を引き起こし民衆を苦しめた帝国主義/植民地主義を克服しようとする過程で、アイヌを含む世界中の先住民族と国際社会が長年にわたる共同作業によって築いてきた人権規範を、いま土足で踏みにじるような行為は断じて許されない、とわたしたちは考えます。

 

帝国主義/植民地主義に根ざすヘイトスピーチに苦しむ被害者をこれ以上増やさないために、以下、先住民族の権利や尊厳回復のための近年の国内外の動きなどを改めてお伝えします。

 

(1)先住民族とは?

 

1989年の国連総会で採択された「独立国における原住民及び種族民に関する条約(第169号)」(C169 - Indigenous and Tribal Peoples Convention, 1989 [No. 169]、通称ILO169条約)第1条にこうあります。

 

1 この条約は、次の者について適用する。……独立国における人民で、征服、植民又は現在の国境の確立の時に当該国又は当該国が地理的に属する地域に居住していた住民の子孫であるため原住民とみなされ、かつ、法律上の地位のいかんを問わず、自己の社会的、経済的、文化的及び政治的制度の一部又は全部を保持しているもの(日本国外務省仮訳)

 

この仮訳は、条約英名にある「Indigenous Peoples」を「原住民」と訳していますが、同条約の18年後に国連総会が採択した「United Nations Declaration on the Rights of Indigenous Peoples (UNDRIP)」における同じ用語「Indigenous Peoples」を、日本政府は「先住民族」と和訳しています。「先住民族」の用語は、話者や時代によってさまざまな意味を含んで使われてきたと考えられますが、21世紀のいま、少なくとも立法・行政・司法にかかわる場面で特段の断りなしに使用する場合は、これら最新の国際合意を尊重すべきでしょう。重要なのは、こんにちにおいて「先住民族」とは、よその国家による「征服、植民又は現在の国境の確立」があってはじめて生み出されるものだ、という認識です。

 

なお、先述のUNDRIP(先住民族の権利に関する国際連合宣言、2007年)は、先住民族の用語をあえて定義していません。その理由を国連自身は「自分が先住民族かどうかは、自分たちで考えて決めればいい」(Know Your Rights! : Human Rights Unit, Programme Division, New York, 2013)と説明し、当事者の自己決定を尊重する意義を強調しています。日本は、ILO169条約をまだ批准していませんが、国連総会のUNDRIP採択にあたって、賛成票を投じました。

 

(2)アイヌに対する先住民族認定

 

以上をふまえて改めてILO169条約第1条に照らすと、アイヌ(北海道アイヌ・千島アイヌ・樺太アイヌ)が先住民族であることは明らかです。また、その起点(「征服、植民又は現在の国境の確立の時」)として、いくつかの歴史転換期が考えられますが、このうち「国境の確立の時」を採用するなら、日露通好条約締結時(1855年)、明治新政府による北海道島内国化時(1869年)、樺太・千島交換条約締結時(サンクト・ペテルブルク条約、1875年)、日露講和条約締結時(ポーツマス条約、1905年)、日本国との平和条約締結時(サンフランシスコ講和条約、1951年)を挙げることができます。

 

先住民族の権利回復をめざす世界潮流の中で、日本の国会は2008年6月、「我が国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない」などとする「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を、全会一致で採択しました。数日後、政府も「アイヌの人々が日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族である」(「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」に関する内閣官房長官談話)と応じました。2019年に施行された「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(アイヌ施策推進法)第1条は、「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々」との表現で、アイヌを先住民族と認定しています。

 

(3)アイヌ民族否定論はヘイトスピーチです

 

2014年8月、「アイヌ民族なんて、いまはもういない」などとツィートした札幌市議会議員に対し、所属会派はただちに除名処分をくだし、市議会は辞職勧告を決議しました。アイヌ民族否定論と称される言説に対し、民主主義社会が「それは認められない」と、はっきり拒絶したのです。

この事件は、アイヌをふくむNGOによって、国連・人種差別撤廃委員会に報告され、同委員会は同年9月、日本政府に対する総括所見で、「ヘイトスピーチを広めたり、憎悪を扇動した公人や政治家に対して適切な制裁措置をとることを追求すること」と勧告しました(人種差別撤廃委員会「日本の第7回・第8回・第9回定期報告に関する総括所見」2014年、日本外務省仮訳)。

 

2016年、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(ヘイトスピーチ解消法)の成立時には、衆議院で「本法の趣旨、日本国憲法及びあらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約の精神に照らし、第2条が規定する『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』以外のものであれば、いかなる差別的言動であっても許されるとの理解は誤りであるとの基本的認識の下、適切に対処すること」と付帯決議が行なわれました。「本邦外出身者」に限らず、アイヌを含む国内少数民族に対するヘイトスピーチをも、同法の規制範囲に含めるべき、という国会の意志が込められています。

 

2019年のアイヌ施策推進法は、「何人も、アイヌの人々に対して、アイヌであることを理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」(第4条)と、アイヌに対する差別を厳禁しています。

 

(4)「縄文人が先住民族」のレトリックにご注意を

 

アイヌ民族否定論のひとつに、「縄文人」と「アイヌ」の連続性を否定し、(1)でお示しした本来の定義を無視して、「より先に住んでいた者が先住民族」という短絡的な解釈をもって「縄文人が先住民族」「だからアイヌは先住民族ではない」と主張するレトリック(実質を伴わない表現上だけの言葉)があります。(1)~(3)をふり返るだけでも破綻は明らかですが、もうひとつ、「縄文人」の言葉には惑わされがちなので、特に注意が必要です。

 

現代の考古学/歴史学は、「北海道島と本州島以南とでは、歴史区分が異なる」として、それぞれ個別に時代を区分し、命名しています。そこにみられる縄文文化期・続縄文文化期・擦文文化期・オホーツク文化期・アイヌ文化期といった名称は、それぞれの時代の人々の道具・家屋・生活スタイルなどの特徴を区別して呼び分けているだけで、決して、これら時代の節目ごとに北海道島の定住民が島外からの異なる集団にそっくり取って代わられてきた、というわけではありません。したがって「縄文人」「擦文人」といった〝造語〟に、「その時代の住民たち」という以上の意味は見出しようがありません。

 

ちなみに、これまで北海道島への最も急激な島外集団の流入は、島の南方に位置する日本国が19世紀なかば以降にとった「内国植民地」政策によるものと考えられます。

 

(5)時計の針を戻さないでください

 

世界各地で先住民族を生み出し、不当な被害を及ぼしてきた帝国主義/植民地主義を克服しようとする過程で、国際連合を中心にさまざまな努力が重ねられてきました。先住民族を公然と否定するヘイトスピーチは、先住民族の一人一人の心を深く傷つけるだけでなく、世界の人々が平和を求めて積み上げてきた国際合意を突き壊して、帝国主義/植民地主義時代に時計の針を戻そうとする行為そのものなのです。わたしたちアイヌ政策検討市民会議は、そのようなヘイトスピーチを、強く拒絶します。