私はずっとカナダの先住民族の教育問題について勉強してきました。今回、アイヌ政策を検討していくにあたって、カナダから学べることはたくさんあると常日頃思ってきました。カナダの先住民のことを学びながら常に私の頭の中にはアイヌ民族の教育ことがありました。カナダであろうが、オーストラリアであろうが、ニュージーランドであろうが、世界中どこでも通用するべきアイディアを見出したいと思って勉強してきました。
カナダの先住民族政策で大前提にあるのは「先住民族には先住民族の権利があるのだ」ということ、「先住民族の権利は憲法で保障されている」ということです。いろんな研究者が、「それはカナダだからだ」とか、「コモンローの伝統があるからだ」とかいうのですが、それは正しくなくて、「先住民族には先住民族の権利があるのだ。固有の土地の権利があるのだ」という根拠はですね、カナダの最高裁判所が示しているのですが、1ページ目にありますが、「入植者が到来したとき、インディアンがそこに存在し、インディアンの祖先が数世紀に渡って行っていたように、社会の中で組織化され、土地を占有していたという事実」(カルダー対ブリティッシュコロンビア州裁判カナダ最高裁判所判決、1973年より。守谷兼輔「カナダ憲法における先住民の『土地権(aboriginal title)』に関する一考察(一)」、『関西大学法学論集』第57巻5号、2008年、75頁)の訳文を引用)が、「先住民族には権利があるのだ」という根拠なのです。そこに先住していたという事実、そこがまず一点大事なところで、これは全くアイヌ民族にも言えるのではないかと思います。歴史家の中には「縄文、続縄文など、長い期間をかけて和人と融合してきた」という人がいますけれども、明治政府が北海道に開拓使を設立したその時点においても、アイヌ民族の固有な生活はそこにあったということは確実な事実なのですから、和人が大挙して北海道に到来したとき、アイヌはアイヌの独自の社会、言語、文化を持って実践し土地を占有していたという事実は、カナダの先住民となんら変わることはないと私は考えます。そういう意味では当然アイヌ民族にも土地の権利が回復されなければならないと思います。
次に「ファーストネーションズ」、いわゆるインディアンの人たちのことを言うんですけれども、ファーストネーションズ教育権限宣言というのを1988年に発しているのですが、そこにはこう書いてあります。
「ファーストネーションズは自治に対して、固有の権利たる先住権を有している。ファーストネーションズはカナダ政府が発足するよりもはるか昔から、主権を持った自治ネーション(国家)として存在してきた。ファーストネーションズは決して、自治権を放棄したことはない。」(広瀬「カナダにおける先住民族教育権の回復への取り組み」、『平成16年度 普及啓発セミナー報告集』、アイヌ文化振興・研究推進機構、2005年3月、134頁)
この主張はアイヌ民族も全く同じ主張をできると私は考えています。いまから20年以上も前ですが、萱野茂さんの著書の中にこんな記述がありますね。
「まずアイヌ国というか国土を、その昔アイヌ民族だけが住んでいたこの島を、アイヌ自身はアイヌモシリと呼んでいた。静かな大地の隅々、沢でも川でも山でも、アイヌ民族自身の言葉で名付け暮らし、対外的に領土とか国として宣言してなくとも、アイヌ民族の国土であったことは間違いない……そのような具合で、アイヌモシリも日本国に売った覚えも貸した覚えもないのが、私共アイヌの共通の認識なのである」(萱野茂『アイヌの里 二風谷に生きて』〔北海道新聞社、1987年〕26-27頁)
この考え方はファーストネーションズの教育宣言にある「自治を放棄したことはない」という主張と全く同じことを主張していると思います。まず先住民族政策を考えるときは、「先住民族の権利」というものがまずあるんだというところから出発しているのだというところが大事になっているんです。もう一つは「最高度忠実義務」という、これをいわゆる信託義務だとか信用上の義務とかそういうことではなく、国は最大限の配慮を先住民族に対してしなければならないんだ、そういう義務をカナダ政府は先住民族に対して負っている、その義務のことを「最高度忠実対応義務」と訳をつけたわけです。これが先住民族政策の根底となっています。
次に取り上げるのは日本のアイヌ政策有識者懇話会の歴史認識なんですが、色々と問題のある報告書だとは思うのですが、国の政策として近代化を進めた結果「アイヌの人々の文化に打撃を」与えたという文章があるというのは重要だと思います。国には先住民族アイヌ民族の文化の──この文化だけとなっているところは問題だと思いますが──文化の復興に配慮するべき強い責任が国にあるのだということを報告書で認めているわけです。ただ、この責任がどれくらいのものなのかということを考えなければならないわけです。カナダの場合は「先住民族に関する政策には全て先住民族の利益になるような配慮がなければならない」と、これはカナダの政策担当者の常識となっています。つまり「政府は、受託者としての義務を高度に忠実に責任がある」ということで、最高裁判所の判決で示されているんですね。「最高度忠実対応義務」とは一体どういう義務なのかということですが、私は法律の専門家ではないのですが、法律辞典を読むとこのように書いてあります。
「高度の忠実義務を負い、もっぱら相手方の利益を図るために最高度の信義、誠実を尽くして行動・助言しなければならない。」(田中英夫編『英米法事典』〔東京大学出版会、1991年〕)
法によってアイヌ民族の土地を奪ってしまう、とかは、これに全く反することとなるわけです。とにかくアイヌ民族の利益を最大限はかる義務が国にあるんだ、ということを認識しなければならない。そういう政策提言を日本政府もぜひ取り入れてもらいたいと思います。
カナダには「インディアン法」という大変差別的な法律があります。先住民族の自治権を奪う非常に問題のある法律です。いまだにこれは変わらないんです。どうして変わらないのかというと、中身は問題があるのだけど、インディアン法が取り扱っている事柄──医療、福利厚生とかについて、政府がこういう領域に関して最高度忠実対応義務を先住民族に対して負っている証明なんだと考えられているのです。ですからこの法律を消してしまうと、政府のそういう責任を免除してしまうことになるのではないかという恐れが、カナダの先住民の方たちにはあるんです。それでなかなか法律は変わらないんですね。これを日本の状況に照らしてみれば、旧土人保護法は中身は問題があるけれども、しかしそういう法律を作ったということは、教育、医療、土地、あるいは財産管理であったりということに関する法律を作ったということは、このような事柄に対して、「アイヌ民族の利益を損なわないように日本政府が忠実に対応する義務があるのだ」と考えられるのではないのかと思います。
ここからは教育の話しに入りたいと思いますが、これはサーニッチというバンクーバー島の先住民族の民族学校の教室、センチョッセン語の教室の掲示物ですね。普通のアルファベットでは表記できないのでそれについての工夫した表記法ですね。
カナダではこういった先住民言語の授業がたくさん行われているのですが、それは先住民言語を話す人がたくさんいるからこういうことができている、というわけではないことを、今日はお話しさせていただきたいんです。サーニッチの場合は1972年に初めて学校でセンチョッセン語の授業が行われたと記録があるのですが、このときには日常的にセンチョッセン語で生活している人は非常に少なくなっていてですね、むしろ使わないようにしている人が多かった。むしろ、授業をしていた人はやや高齢の方で、こどもたち、その親の世代はセンチョッセン語を全く使えない、知らない、わからないという状況で始まったわけです。
今現在、センチョッセン語の教育リーダーをされている方は、全然センチョッセン語がわからず、成人向けのセンチョッセン語教室に通い、なんとか話せるようになり、そこからはセンチョッセン語を知っている古老のところに通ってあえてセンチョッセン語だけで生活してみるという努力をされた方です。つまりセンチョッセン語を母語として話せる人がセンチョッセン語教育を広めたわけではなくて、全く話せない一から始めた人がセンチョッセン語の教育を広めてきたのだということが、とても大事なことだと思います。1988年には民族学校の授業の一つと位置づけられて、実に最近、2012年になって、日本でいうところの外国語の英語、入試では外国語として英語、フランス語、ドイツ語、中国語、韓国語が認められているようですが、そこに先住民族言語、例えばアイヌ語が入るといったような状況になりました。日本の学習指導要領にあたるものの中に一科目としてセンチョッセン語が入りました。
ラフウェルネフ民族学校附属保育所(2点の写真)
同時並行的に、「保育園の所から先住民言語でこどもを育てようよ」ということでですね、サーニッチの民族学校の附属保育所では、かつて萱野茂さんの夢見たアイヌ語保育所のような取り組みが、2012年ですからごく最近ですが、行われています。先生はどうなっているのか、ということですが、先生も最初から先住民族言語の教員養成所があるということではなくて、とにかくできる人が教壇に立ってきました。今は、サーニッチ民族の民族大学が、ビクトリア大学と協定を結んで、センチョッセン語の教員養成ということが実践されています。
カナダのブリティッシュコロンビア州の地図を資料に載せたのですが、2012年までに15の言語が、日本で言えば学習指導要領にあたるものの中で、正規の外国語科目に認められています。先住民族言語が復興しつつあるという地域は必ずこういう学校でちゃんと教えるというシステムがあるというのが一つの特徴です。この他、日本で言えば社会科の中で世界史や日本史に並びアイヌ史が認められているという状況が、カナダのブリティッシュコロンビア州ではあります。「ブリティッシュコロンビア州のファーストピープルズ」という教科が正規の科目として卒業要件科目となっています。それから英語の授業、日本で言えば国語ですが、英語圏で暮らしているからなんの問題もないように思えますが、実はそうではなくてですね、英語(日本でいうところの国語)の履修は大変難しいという状況があります。そこでブリティッシュコロンビア州政府が何をしたかというと、「先住民の作家が書いた作品をもっと扱うとか、先住民に寄り添った内容で国語の教科書を作れば履修が進むのではないのか。子どもたちの成績も伸びていくのではないのか」ということで、「英語―先住民族」という教科を設けたのです。
先住民族と非先住民族が一緒に学ぶことが、非常に意味があるとされています。一緒に学ぶからこそ先住民族の子どもたちは誇りを持って「自分は先住民の一人なんだ」と思えるということで、子どもたちの高校・大学進学率の向上にもつながると言われています。
先にサーニッチの民族学校のことを紹介しましたが、民族学校の実態は「先住民族がたくさん住んでいるところにある学校」ということです。その学校の運営に、地域の先住民族の人々が強い発言権を持って参画できるということなのです。そういう意味で、民族学校とは言っても特殊な学校ではなく、ただ「先住民の子どもたちがたくさんいる地域の学校」だということです。
これを日本の状況に当てはめて考えてみると、かつてアイヌ小学校と呼ばれ、北海道旧土人保護法9条の下で設置された学校、例えば白老小学校、白糠小学校、二風谷小学校などアイヌの子どもたちが多数いる学校で、アイヌの歴史や文化を多く扱った授業が充実し、加えて地域の親たちが積極的に発言できるような仕組みがある、ということになるでしょう。これがカナダの先住民族学校の実態です。そういう意味では特殊な学校ではないと言っていいのではないかと思います。日本の文部科学省も、コミュニティスクールですとか、地域の声を反映させる学校などが大事だと言っています。地域の親たちが発言できる仕組み作りというのも、特別な仕組みではないであろうと思います。それから民族大学というものも、ビルの一室のようなところで学生たちが集まってきて、大学のサテライト教室のような形で大学の授業を受けられるような仕組みです。
もう一つ、学校以外でとても大事なのが、社会教育としての民族教育です。要するに普段の日常生活の中で伝統文化を継承していく。例えばアイヌの伝統的なお葬式であったり、あるいはサケがのぼってきたときのアシリチェップノミであったり、そういうことを普通にできる仕組みがあるかどうかということです。カナダにはあるんです。祖先が伝統的に使ってきたテリトリーには先住民族の土地利用の権利が認められるからです。そういう意味で、先住民族の土地に対する権利が認められることそれ自体が、アイヌ文化、アイヌ語、アイヌ民族としてのアイデンティティを作っていく上での根幹であると言っていいのではないかと思います。
ところが、アイヌ政策有識者懇談会の座長であった常本氏は、アイヌ民族の権利を承認することに非常に否定的です。配布資料に「三つの承認回避論」と書きましたが、彼はまず「先住民族の利益を認めるのが多数派の利益となるからカナダでは先住民族の権利は認められているんだ」というふうに言っています(常本照樹「国内法における先住民族の地位」、『文化人類学研究』第5巻、早稲田大学文化人類学会、2004年、57頁)。そんなことはないわけです。先住民族の権利が認められ、先住民の土地だと認められているから、経済活動を先住民族の土地に入って行うときには先住民と交渉をしなければならないのです。だから条約、協定などが作られていくわけです。その根幹は、そこに「先住民族の権利」が認められているからなんです。「多数派に利益があるから先住民族の権利を認めた」のではなくて、「そこに先住民が先住しているという事実が、先住民族の権利の根拠なんだと最高裁判所が認めたから」こういうことが起きているのです。
次に常本氏が主張されるのは、「多数派が理解しないと先住民族の権利なんて認められないんだ」という考えです(常本輝樹『アイヌ民族と教育政策――新しいアイヌ政策の流れのなかで』〔札幌大学附属総合研究所、2011年〕54頁)。「まずは日本人が理解してから先住民族の権利」について進めましょう」というわけです。これもですね、カナダで最初に「先住民族の権利」を最高裁が認めた裁判が行われていたとき、当時のカナダ首相は「先住民族の権利なんて認められない」と言っていたわけです。ブリティッシュコロンビア州政府の議会や自治体の首長連合も、2000年にニスガ自治政府が発足したとき、運動を批判していました。つまり全然理解なんてなかったのですが、認められなければならないものが認められるということがあって、理解が進んできたわけです。まずは「先住民族の権利」を認めるところから始めていくということが必要なんです。
最後に「まず社会の現実と向き合う必要がある論」と書きましたけれども、こういうように言うわけです。すなわち、「米国や豪州などで語られる『土地の返還』『政治的な自決権』といった先住民族の権利実現を直ちに目指すのは、いまのアイヌと日本の現実になじむでしょうか。」(『朝日新聞』2016年11月5日付け)と。こんなことを言うわけですが、何も「先住民族の権利」回復が直ちに、土地を返せとか、政治的にアイヌ独立国家を作る権利を認めることを意味するとは限りません。土地の利用ひとつとっても、いろいろなあり方があるはずです。たとえば、ここの土地には一定のアイヌ民族の権利があるのだとすれば、「今現在の時点でアイヌ民族に回復できることは、例えばこんなことが回復できるのではないか」という議論をするべきなのに、土地の返還とか政治的自治権だけが「先住民族の権利」であると決めつけて、それは「現実にそぐわない」と言うのです。このような議論の仕方はナンセンスです。
さらに驚くべきことに「自らをアイヌと考える人が幸せに生きられる社会を作ることが目的ならまず社会の現実と向き合う必要がある」と書いているわけですから、アイヌとアイヌではない日本人は全然共生できていないことを認めているわけですが、共生できていないのに「共生の象徴空間」を設置しようとしているのです。これは一体、なんなのか。まずは、「先住民族アイヌの権利」をちゃんと認めて、今何を回復していかなければならないのかを、アイヌでない人とアイヌが一緒に議論していくことが「共生」につながるわけですし、その実践こそが、アイヌ民族のアイデンティティを育む教育につながっていくのではないでしょうか。「先住民族の権利を認める」ということを、まず模索することが一番重要なことだということをお話しさせていただいて、私の話しを終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。