第5回アイヌ政策検討市民会議 2017年6月18日

アイヌ語の復興

萱野志朗さん 萱野茂二風谷アイヌ資料館館長

みなさん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました萱野志朗です。

 

昨日(2017年6月17日)、「第1回 イランカラㇷ゚テ音楽祭 in 阿寒湖」というイベントがあり、私は見学してきました。新井満、秋辺デボ、トワ・エ・モワ、ヒートボイス、カピウ&アパッポ、邊泥敏弘(ぺてとしひろ)、阿寒アイヌ文化保存会といった方々が出演されていました。だから今日、私は阿寒から330km走って札幌まで来ました。ちょっと遠いなあ、と思いました。

 

 

小さなアイヌ語メディア

 

さて、みなさんのお手元のレジュメでは、私の演題が「アイヌ語の再生」となっていますが、再生というと、どうも植物とかビデオ再生のイメージになってしまうので、「アイヌ語の復興」と題名を変えてお話しします。

 

最初にご紹介するのは、私がやっているものなのですが、コミュニティメディアで「FM二風谷放送」と言います。総務省が出す免許なしに開局できるいわゆるミニFMで、愛称は「FMピパウシ」です。周波数76.1MHzで微弱な電波を飛ばし、平取町の「二風谷子ども図書館」周辺で聴くことができます。

 

FMピパウシは、2001年4月8日に開局し、毎月第2日曜日の午前11時から1時間の番組を放送しています。すでに194回を数え、インターネット上にホームページを作り録音音源ファイルを無料で公開していますので、いつでもどこでも、だれでも再生してお聞きいただけます。平取町二風谷アイヌ語教室で私が事務局長として発行していた『二風谷アイヌ語教室』という広報紙とFMピパウシの内容を比較検討した内容をその一部として載せた論文『アイヌ民族の言語復興と歴史教育の研究』-教育から考える先住民族とエンパワーメント-(風間書房、上野昌之著)があり、会場に上野さんもいらしています。

 

http://www.geocities.jp/fmpipausi/menu.html

 

それから、『アイヌタイムズ』という新聞を仲間たちと一緒に作っています。A4判12ページ、日本で唯一のアイヌ語新聞です。1997年3月20日に創刊し、ちょうど20周年の今年2017年3月、第66号まで来ました。すべての記事がアイヌ語の表記でカナとローマ字で書かれていて、その日本語訳を載せた「日本語版」を次の号と一緒に出す、という形にしています。

 

 

アイヌ語教育の現状

 

さて、アイヌ語の復興に向けた取り組みの現状についてお話しします。ひとつめは「アイヌ語教室」です。

 

かつて、全道14カ所にアイヌ語教室がありました。しかし現在は、私たちの「平取町二風谷アイヌ語教室」を含め、2カ所に減っています。かつて北海道教育委員会は、各地のアイヌ語教室に運営支援の予算をつけていたのです。ところが2011年ごろ、北海道議会で小野寺秀議員(当時)がアイヌ関係団体への助成金の使い方について徹底的に追求してきたのです。その影響により、北海道教育委員会の助成金がストップされる事態になりました。

 

道教委はその後、形を変えて「アイヌ語初級講座」という事業を始めていますが、それは、開催を希望する地域のアイヌ協会向けに単年度で事業委託金を出すという仕組み。つまり開催する側にすると、継続的な事業委託費が保障されていないシステムです。平取アイヌ協会ではこの「初級講座」を2015年、2016年と開催しましたが、今年度(2017年度)は開講の申請をしていません。

 

そんな中、平取アイヌ協会が主管し、私が事務局長を務める「平取町二風谷アイヌ語教室」は、北海道教育員会からの助成金が出ていた時は、そのお金が北海道アイヌ協会経由で各地域の支部協会へ出ていて、そのほかに平取町から年間約200万円の助成金を受けて現在も運営を続けています。

 

教室は、子ども向け教室が週1回1時間ずつ年に52回、成人の部の教室は月2回2時間ずつ年間24コマのプログラムです。子ども教室の講師は関根真紀さんと健司さんのご夫妻、成人の部の教室は木幡サチ子さんに講師をお願いしています。木幡さんはもう満87歳になりますが、元気に務めています。

 

ふたつめとして、二風谷では、2015年から平取町立二風谷小学校でのアイヌ語教育が充実しています。平取町立二風谷アイヌ文化博物館学芸員補の関根健司さんを講師に、総合学習の時間を利用して、1年10コマの時間を当てアイヌ語を学習しています。

 

私も委員の1人ですが「アオテアロア・アイヌモシリ交流プログラム実行委員会」という組織を作って渡航費用を委員会で工面し、関根さんご夫妻と娘さんを含めて若者7人を4年ほど前にニュージーランドのマオリと交流するために派遣し、言語教育などについて多くを学んできました。マオリの言語教育はとても進んでいます。マオリ語も1970年代には絶滅が確実視されていました。それが現在は、ニュージーランドの公用語のひとつとして使用されるまでになりました。関根建司さんは、この活動に触発されマオリ語復興のためにマオリの人たちが使った方法「テ・アタアランギ法」をアイヌ語復興に応用しています。意味が分からなくても、とにかくマオリの言葉で話し続けるのですね。これは効果がある。私たちもこの方法を使って、二風谷で大人たちにアイヌ語会話の練習をしています。

 

「テ・アタアランギ法」は、読んだり書いたりしてはダメなんです。初めは分からなくても、アイヌ語だけを使って、耳で聞きとり、発音を真似しながら勉強するんです。たとえば赤・白・黒に塗った棒を用意して、アイヌ語で「白い棒をください」「これを1本あげます」などと話しながら棒を手渡します。そんなことを繰り返しているうちに、色や物の名前を覚えることから始まって、だんだん語彙が増えて、アイヌ語ができるようになるのですね。びっくりです。「テ・アタアランギ法」の精神というのは「言葉は誰でも出来るんだ」、という前提のもとに訓練する。これはかなり効果を上げつつあります。

 

関根建司さんからの聞き取りによると、二風谷小学校では、このようなアイヌ語の授業が2015年に5回、2016年に10回行なわれた。今年2017年度も10回やり、対象は3年生から6年生ですけれど、1~2年生でも理解できる内容ならば全校児童が一緒に学んでいます。二風谷小学校は、この授業計画を文部科学省にも提出しています。文科省も承知しているわけですが、科目名は「アイヌ語」ではなく、あくまで総合学習の時間を利用して行うカリキュラムでアイヌ語を教えているのです。

 

このほか、二風谷小学校では「ハララキ活動」と称して──ハララキはアイヌの踊り

の一名称です──アイヌに関するいろいろな学習もしているわけです。アイヌ語学習のほかに、これが10回。だから1コマ50分のアイヌ語授業の10回と、合わせて年間20回開かれています。

 

3つめにご紹介するのは、STVラジオで放送されている「アイヌ語ラジオ講座」です。アイヌ語は、北海道内にはいくつかの方言がありますので、各地の話者が持ち回りで講師を務めています。かつて私の父(萱野茂・元参議院議員、1926ー2006年)が、同じSTVラジオの「イランカラプテアイヌ語講座」(1987年~)という番組の講師を務めていたのです。しかし1992年、父は参議院議員に立候補することになり、公職選挙法の制約上、1991年ころからラジオ番組に出演できなくなってしまいました。アイヌ文化研究者の藤村久和氏(当時:北海学園大学教授)が番組を引き継いだのですが、アイヌ語講座というより、だんだんアイヌ文化に関する話が中心となって、その番組は結局打ち切りになりました。

 

その後、アイヌ新法(アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律、1997年)ができて、その予算によって、STVラジオへの委託事業として、この「アイヌ語ラジオ講座」が復活します。私は(事業委託元の)アイヌ文化振興財団(公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構)の評議員なので金額も分かるのですが、年間予算が約2100万円で、STVにこのうち1200万円くらい払っています。テキストは財団が作って、講師も財団で頼んでいるのだけど……。私に言わせると週1回15分間アイヌ語講座を放送する権利を買っているようなものだと思います(笑)。そういうお金の使い方が悪いっていうわけじゃない。ラジオでアイヌ語講座の番組を放送することは、私は良いことだと思うのです。インターネット経由で後から聴くこともできますし。過去の放送もすべて聴くことができます。

 

http://www.stv.jp/radio/ainugo/index.html

 

4番目は「親と子のアイヌ語学習」事業です。「親と子あるいはおばあさんまたはおじいさんと孫」という形でもいいのですが、その地域でアイヌ語を分かっている人が、親と子を対象としてやっているものです。家庭内にアイヌ語を復活させるために、と谷本(一之)先生がアイヌ文化振興財団の理事長だった時にアイディアを出して予算づけした、というふうに聞いています。

 

5番目は「語り部育成」事業。口承文芸、ユカㇻとかカムイユカㇻ、地域によってはオイナって言ったりもしますけれど、平取地域ではユカㇻ、カムイユカㇻというジャンルがありまして、60歳代とか比較的年齢の高い方たちを集めて、実際に声を出して練習します。平取では木幡サチ子さんが先生になりやっていますし、ほかの地域でも行なわれています。

 

6番目の「上級講座」は、アイヌ語の指導者を養成するための講座です。文法を中心に、これからアイヌ語の先生になろうという人を対象にしています。平取地区でも行なわれています。

 

後半ご紹介した3番~6番の4つの事業は、公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構の事業です。ふんだんとは言えませんが、けっこうお金がありますから、それなりの講師の手当てがありますし、「語り部育成」「上級講座」事業では、受講生にも奨励金が出るんですね。「親と子」は、最近は受講者には出なくなった……? まあそういうことで、勉強する方にもある程度お金を渡す、と。それが良いのか悪いのか、ちょっと分からないんですけどね。「お金がもらえないと勉強に来ない」ということもありうるので……。

 

 

アイヌ語を公教育で学ぶために

 

さて、日本政府は「子どもの権利条約」(1989採択、1990発効)を批准しています。その第30条に、このような規定があります。

 

児童の権利に関する条約 第30条

種族的、宗教的若しくは言語的少数民族又は原住民である者が存在する国において、当該少数民族に属し又は原住民である児童は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。

 

この条約は「18歳未満の子どもの権利条約」とも呼ばれます。日本が批准したのは1994年です。憲法よって、日本国政府には法律と条約の遵守義務が課されています。

 

日本国憲法 第98条

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 

これを法的根拠として、「アイヌ民族にアイヌ語を学ばせてくれ」と日本政府に要求する権利が、われわれにはあるわけですね。まあ実際には、法的に訴えない限り、さきほど田澤さんもおっしゃってましたが、「(先住民族の)権利がある、あると言っても、一体どこにあるんだ?」という議論になってしまうのですけれど。

 

次にお話しするのは「市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)」(1966年採択、1976年発効)です。日本は1979年に批准していますが、その第27条にこのように書かれています。

 

市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約) 第27条

種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。

 

これも国際条約ですから、法的権原として裁判所に訴えて権利を獲得できると思います。

 

また2007年9月13日には、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が国連で採択されています。この第13条はさほど長くないので読み上げます。

 

先住民族の権利に関する国際連合宣言 第13条【歴史、言語、口承伝統など】

1 先住民族は、自らの歴史、言語、口承伝統、哲学、表記方法および文学を再活性化し、使用し、発展させ、そして未来の世代に伝達する権利を有し、ならびに独自の共同体名、地名、そして人名を選定しかつ保持する権利を有する。 

2 国家は、この権利が保護されることを確保するために、必要な場合には通訳の提供または他の適切な手段によって、政治的、法的、行政的な手続きにおいて、先住民族が理解できかつ理解され得ることを確保するために、効果的措置をとる。

 

 

国際連合宣言というのは、条約とは違います。条約は法的権原になりうるんですが、「宣言」の場合はあくまで「宣言」なので、国(日本)はこれを守る義務はあるでしょうが、この規定によって何か裁判を起こすとかいうことは無理なんだろう、と私は思っております。専門の吉田(邦彦)先生に後ほど教えていただければと思います。

 

この国連宣言にはもうひとつ、第14条で「教育の権利」というのもあります。

 

先住民族の権利に関する国際連合宣言 第14条【教育の権利】

1 先住民族は、自らの文化的な教育法および学習法に適した方法で、独自の言語で教育を提供する教育制度および施設を設立し、管理する権利を有する。

2 先住民族である個人、特に子どもは、国家によるあらゆる段階と形態の教育を、差別されずに受ける権利を有する。

3 国家は、先住民族と連携して、その共同体の外に居住する者を含め先住民族である個人、特に子どもが、可能な場合に、独自の文化および言語による教育に対してアクセス(到達もしくは入手し、利用)できるよう、効果的措置をとる。

 

いま条文の和訳を引用しましたのは、NPOの市民外交センターが配っている冊子なんですね。「先住民族は、この条約を使えば、こういう権利を訴えることができる」と書いてあります。ちなみにこの冊子、価格は1000円ですが、値段の下に「アイヌ民族は無料」と書いています。「アイヌだけが何故優遇される?」と言われるかも分かりませんが……。

 

 

アイヌ語公用語法を策定するには

 

アイヌ語の復興を考えたとき、私は以前から、「アイヌ語公用語法」という法律を作って、アイヌ語を日本語と同じように使っていいよ、ということを求めたらどうだろうか、と考えてきました。

 

まず、北海道の一部にアイヌ語の公用語地域を策定し、次に、北海道全域についてアイヌ語を公用語とするのです。

 

課題は、役場や市役所の職員がアイヌ語を理解できるかどうか。たとえば出生届・死亡届・婚姻届、さまざまな届出をアイヌ語でやるとなると、アイヌ語で書類を書かねばなりませんし、それを読んで理解できなければいけません。届け出るアイヌ自身も、受け付ける人もそうです。しかしその結果、アイヌ語は急速に普及するでしょう。

 

こういうことを言ってくれる人がなかなかいないので、私が考えついたことを書いたのですが、いくらわれわれが「アイヌ語を使ってもいいよ」と言われても、自分たちでアイヌ語を復興出来なければ、使えないわけです。じゃあ、どうやって復興すればいいのか。

 

たとえば日本社会では、日本国籍を持っている人も、いわゆる在日外国人でも、日本人の先生が日本語を使って教えている学校に行けば、結局日本語しか学べないわけです。日本文化の価値観に基づいた教育しかされない。それは日本語を使うからそうなるのですね。

 

ただし、もしアイヌ語を使えば、アイヌ語に含まれるいろいろな歴史的な意味、言葉の意味、そういうことを一緒に理解することによって、アイヌ語に込められている価値観も一緒に学ぶことが出来るはず、と私は思っているのです。

 

そういうふうにできれば理想的なのですが、いまの状態ではなかなか、アイヌ自身も「あなたはアイヌだからアイヌ語を学びなさい」と言われても、「いや、私は日本語のほうがいい」と答える人が多いことでしょう。選択の自由を確保しないと人権侵害だと言われる恐れもあります。だから、アイヌ民族で、アイヌ語を学び、アイヌ文化を学びたい人には、公教育でそれを学ぶことが出来る機会を提供する必要があるのだと思います。小学校、中学校、高校、もしくは大学も含めてです。

 

先ほど、田澤さんがおっしゃったこと(田澤守氏「樺太アイヌから見たアイヌ政策の根本問題」)も私はよく分かるんですよ。私がアイヌの関係の仕事を始めたのは30歳になってからです。いま59歳になりました。29年間やってきて、アイヌ文化振興法ができて、少しは進歩したかなと思うのですけれど。

 

そのアイヌ文化振興法の成立する以前、北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)が求めていたのは、アイヌ民族としての定義ですね。アイヌ民族とはなんぞや、というのをきちっと定義づけて、「アイヌ民族法が必要だ」と言っていました。それから「アイヌ民族自立化基金」の創設。何十億か何百億か分かりませんが、基金を積んで──利率が低くても必要なだけ原資を積めばいいわけです──アイヌ民族として自立していくのに必要なお金を調達することを求めていました。

 

私は、2007年12月29日付け『朝日新聞』opinion 「異見/新言」欄に「先住民族と認め、土地返還を」という記事を書いたことがあります。北海道は面積の6割以上が国有地です。そのほか北海道有地、市町村自治体の公有地まで入れると、たぶん7割以上になります。残りも、明治時代に大企業へ土地が払い下げられた私有地が多くを占めています。

 

アイヌ民族には、北海道旧土人保護法(1899年制定、1997年廃止)という法律によって、1戸あたり1万5000坪(約5ヘクタール)以内を下賜(かし)すると言いながら、実際に1万5000坪が下賜された例は少ない。下賜されても、そこは豊かな土地ではなかった。対照的に大企業にはバンバン払い下げているわけです。

 

 

北海道旧土人保護法(1899年)

第一条 北海道旧土人ニシテ農業ニ従事スル者又ハ従事セムト欲スル者ニハ一戸ニ付土地一万五千坪以内ヲ限リ無償下付スルコトヲ得

第二条 前条ニ依リ下付シタル土地ノ所有権ハ左ノ制限ニ従フヘキモノトス

 一 相続ニ依ルノ外譲渡スコトヲ得ス

 二 質権抵当地上権又ハ永小作権ヲ設定スルコトヲ得ス

 三 北海道庁長官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ地役権ヲ設定スルコトヲ得ス

 四 留置権先取特権ノ目的トナルコトナシ

2 前条ニ依リ下付シタル土地ハ下付ノ年ヨリ起算シテ三十箇年ノ後ニ非サレハ地租及地方税ヲ課セス又登録税ヲ徴収セス

3 旧土人ニ於テ従前ヨリ所有シタル土地ハ北海道庁長官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ相続ニ因ルノ外之ヲ譲渡シ又ハ第一項第二及第三ニ掲ケタル物権ヲ設定スルコトヲ得ス

第三条 第一条ニ依リ下付シタル土地ニシテ其ノ下付ノ年ヨリ起算シテ十五箇年ヲ経ルモ尚開墾セサル部分ハ之ヲ没収ス

  

私が『朝日新聞』で主張したのは、こういうことです。北海道在住のアイヌ人口が今、2万4000人。北海道外のアイヌを入れたら最低でも3万人はいるだろうと想像できます。その3万人に北海道の面積の6割以上を占める国有地を返せ、と。ただ、いま仮にそれを返してもらっても、多くは国立公園地域を含む森林ですから、われわれだけでは管理しきれない。そこで、われわれは権利だけを返してもらう。それを日本政府に貸し付ける形にして地代をいただき、森林の管理業務は引き続き日本政府にアイヌ民族が委託するという形を取ってはどうか、と提案したのです。

 

うちの父もよく言っていました。『アイヌの碑』(朝日文庫)にも書いています。「(アイヌは)この北海道の大地を、日本国政府に売った覚えも貸した覚えもない」と。「もし売ったというのなら、売買契約書を見せろ」「借りたというなら賃貸契約書を見せろ」と言っていたのです。そう書いていたけれど、国からは何の返事もなかった。「これは何たることか」と、生前、怒っていました。

 

そんななか唯一、美唄市のキリスト教の団体だけが、毎年「年貢」と書いて、(現金を)うちの資料館に持ってくるんですよ。父は「自分は受け取ることが出来ないから」と、北海道アイヌ協会に送っていました。じつは今でも届けられていて、私が北海道アイヌ協会に送っています。これが、アイヌが和人から受け取っている唯一の「年貢」です。キリスト教会からの寄付金ですから、本当の年貢と言えるかどうかは別問題ですが、その団体は、うちの父が亡くなってもう11年になりますけど、毎年12月の初めに資料館に来てくれています。

 

先ほど言ったように、私は30歳でアイヌ語教室の事務局員として働き始め、資料館の館長もやっていますが、この29年間、私が始めたころに比べれば、(アイヌ語教室の運営など)財政的には少し良くなっている面もあります。しかし本当にアイヌ語を復興させるには、全く不十分な状況だと思います。自分たちで好きなように「どうしたいか」を決める。自治権というやつですが、それがない限り、難しいと思うんです。「アイヌに自治権を」というのが本当に重要なことだと思います。その自治権さえあれば、アイヌ語の復興を含め、自分たちは自分たちの好きなようにできると思います。

 

駆け足で話したのと、阿寒から長距離をドライブしてきてちょっと疲れていて、お聞き苦しいところもあったと思います。私の話はこれで閉じさせていただきます。どうもありがとうございました。