明治の北海道と沖縄(コラム)
北海道は、政府によって開拓の方針が立てられ、貧しい士族や農民がその役目をにないました。そのため、もともと住んでいたアイヌの人々は、狩りや猟の場所を追われました。また、政府によって日本名や日本語の使用を強制され、生活の場や文化がうばわれていきました。
沖縄は、薩摩藩の支配体制に組みこまれながらも琉球王国が続いていました。明治維新の後、政府は、琉球王国を廃止して琉球藩とし、後に沖縄県としました。
「アイヌ民族のほこりを」(コラム)
アイヌ民族は、昔から、北海道、サハリン、千島列島などを居住地とし、固有の言語と文化、生活修館をもち、歴史を築いてきました。しかし、明治政府は北海道を開拓するときに、アイヌの人たちの土地を取りあげ、その文化を否定し、日本人と同化するよう強制しました。このため、アイヌ民族への偏見と差別が強められました。
1997年になって、アイヌの伝統と文化を大切にする「アイヌ文化振興法」が制定され、2008年には、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で可決されました。
http://www.mitsumura-tosho.co.jp/kyokasho/s_shakai/index.html
学習資料 新政府と北海道・沖縄(コラム)
政府は、蝦夷地を北海道と改称し、士族などを送って、開たくを進めました。
北海道に昔から住んでいたアイヌの人々も、平民となりました。しかし、開たくが広い地域に広がると、アイヌの人々は、土地を失い、生活を支えてきたシカ狩りやサケ漁ができなくなりました。また、伝統的な文化や生活様式が否定され、日本語の使用や、日本名への改名も進められました。
沖縄にあった琉球王国は、江戸時代には、薩摩藩の支配を受けながら、中国(清)にも従う形をとっていました。明治になると、政府は沖縄に琉球藩を置き、国宝を藩主にしました。その後、沖縄に軍隊を送って廃藩置県をおこない、首里城から国宝を追放して、沖縄県知事を任命しました。このことにより、400年以上におよぶ琉球王国の支配は終わりました。
http://www.nichibun-g.co.jp/textbooks/shakai/s-shakai/s-shakai_index/
北海道と沖縄(コラム)
政府は、蝦夷地を北海道と改め、開拓に力を入れました。仕事を失った武士や農民などを北海道に送り、屯田兵として、原野の開拓と北方の警備にあたらせました。古くから北海道に住んでいたアイヌの人たちは、平民とされましたが、土地や漁場などの権利を失い、生活が成り立たなくなりました。また、日本語を使うことや、日本式の名前を名のることをしいられ、アイヌ民族の伝統的な文化や習慣は禁止されていきました。
一方で、政府は、中国(清)ともつながりをもっていた琉球王国を、軍隊と警察の力で、沖縄県として日本に統合しました。
http://www.kyoiku-shuppan.co.jp/textbook/shou/shakai/index.html